おじさんプログラマの子育てデスマーチ日誌

ソフトウェア開発者が会社や家庭での問題を乗り越えていく記録。本当は働きたくない。リアルな日記と子育てアイディアを配信します。

映画『JOKER』の感想と個人的な悩み

映画、詳しくない人の感想です。

話題作みたいでネットでちらほら感想があって、妻も興味ってことで、順番に行ってきた。子どもの面倒見があるので。面倒見というと面倒みたいで嫌だ。ところで今朝妻がキレた。うちの実家で義理の妹が母に頼っているらしく、遺産相続とか介護でもめて搾取される未来。それを予想して妻が悩んでいる。3回目は嫌だと言っている。1回目はおばさんのこと。数千万円は損した。もらえないどころか払ったようだ。2回目は祖母のこと。前にも書いたけど浪費家で妻の実家が援助している。年金で収めようとしないし周りを酷使するらしい。たしかに来訪時にケーキを持っていったら自分が食べる予定の一番果物ののったケーキを食べられた。そこまで食べれないどろうと思った90代。1回目のせいで妻の父は怒った。なぜか知らないけど転職したらしい。妻もそのせいか大学にいく資金がなかったようだ。妻は人生をメチャクチャにされたと思っている。おいらは金なんでなくても生きていける。健康が大事だと思っている。しかし高額な医療を受けられなくなる可能性もある。命は金に左右されるというのは本当だと思う。妻は本当にそう思っていて、本当にそうだと思う。自分は実感がないのが問題ではある。今回さらに3回目の義理の妹の件でゴタゴタになって金をとられる。生活を壊されると思っている。その件など存在しないように思える。妻は悪い予感がしているだろう。悪い予感が当たるのはソフト開発をやっているので同意する。不安は不具合となって的中することが多い。

朝から不調なのに妻がそんなことを蒸し返しているようだから諦めて出社した。というのは嘘で引き返し妻をなだめてから出社。問題がくすぶり続けている。 二歳10ヶ月の息子は察知したせいか泣いて自分も泣いた。賢い子だと親ばか。妻は諸葛亮に嫉妬した周瑜のように人生を消耗していいのか?

映画『JOKER』の感想を書かねばならぬ。家庭事情を考えているとその義務にも疲れる。

もちろんネタバレになるのでまだの人は読まないほうがよい。

どうも信じるものが無くなった人間の行動原理を描いたこの映画のように見えた。虐げられ、裏切られる。徹底的。丁寧なのは暴力への移行。まず銃を同僚に渡されるところから転落し偶然出会った地下鉄で銃を使ってしまう。そこからさらに裏切られ確信犯的に暴力を使うことになっていく。ここが丁寧だが丁寧すぎて不自然というか、裏切られて転落する映画だと理解した時点からその筋はつまらなくなる。若干そういう麺があった。しかし映像美は素晴らしい。美しい。それが映画の本質だろうか。妻と話してストーリーについてよかったと言っても言えていない気がするのは本質はそこにないからであって他に本質があるのを示している。だから感想文なんて書いても仕方ない。だから映画を見に行くしかない。アメリカは強い、これだけの映像、演技、エンターテイメント。小児病棟での慰問で銃をボトリと落としたときの怖さ。看板を奪われたあとの事情を知られずに正論で突っ込まれる怖さ。最初の看板を盗まれて追跡して不意に看板でフルスイングされる顔と、その映像の運動神経。アクションシーンの運動神経。悩みなど忘れて映像に浸かっていたいという逃避したくなる映像がここにあった。

ストーリーを読みに行くのでは二度と見れない。この映画をまたみたいと思うのはもちろん映像をみたいからだよね。あと音楽は詳しくないけど。

他の人の感想では以下に興味を持った。

妄想と現実が混ざる映画や漫画はその中でも真実だけを写しているものを探す必要がある インセプションだと、コマが回るかどうかが真実だった では、ジョーカーでは? 自分はテレビの中の映像が真実だと考える テレビの中というのは、ブラウン管の四角の中の映像のみに限る だから、ブラウン管がなくなっているものはもう妄想の可能性がある 例えば、アーサーが客の中からマーレイに呼ばれたシーンは妄想だろう テレビの映像を簡単にリストアップすると ゴッサムにはネズミが溢れかえるほどのストライキ 3人の男がピエロにやられる ウェインが市長に立候補 ウェインが低所得者をピエロと呼ぶ マーレイがアーサーの舞台を茶化す マーレイがジョーカーに撃ち殺される ジョーカーが生放送に出た ジョーカーが逮捕された 意図的にブラウン管越しのテレビを映している場面が多かったこと、 ジョーカーが生放送出た後にブラウン管が大量に出てきたこと マーレイに番組で呼ばれたことが妄想ではなく真実だったこと 上のリストが一つも妄想だと作中明示されていないこと 上記からテレビが真実だと考えられる なのでジョーカーは逮捕され、マーレイは死んだのであろう

映画ジョーカー(JOKER)のラストシーンについて(考察) - 日常の錬金術師

また今回の作品で妄想になっていたのは むなくそだがアーサーが真に笑顔になるときだ 観客席のアーサーがマーレイに呼ばれる 恋人といる 舞台の途中から大成功する これら全て妄想だった となれば、最後の前の車の上でジョーカーが立つシーンこれは妄想なのではないか 順番にいうと テレビが真実なのでジョーカーは逮捕された その後車がぶつかりジョーカーが助けられるシーンは丸ごと妄想 逮捕されたまま最終シーンのアーカム病院に送られたのが真実ではないだろうか

映画ジョーカー(JOKER)のラストシーンについて(考察) - 日常の錬金術師

なるほど、たしかに、そうかも。現代の小説は客観的な語り手よりは偏ってもなにかリアルな語り手に信頼をおくのだろうか。

昔の同僚が二人訪ねてくるシーン、一人はアーサーに殺され、残された小人症の彼が「(手が届かないので)ドアをあけてくれ」と頼まなければいけなかったところ。何を考えているかわらない狂人に、頼み事をしないといけないという、あの恐怖の演出が最高によかった。

映画「ジョーカー」感想: ジョーカーという信頼できない語り手 (ネタバレあり) - mizchi's blog

あとは、権力者はますます権力で無力者を虐げると思うんだ。それはどうすればいいのだろうね?

圧倒的な映像も金や力がなくては、できないよ。