おじさんプログラマの子育てデスマーチ日誌

ソフトウェア開発者が会社や家庭での問題を乗り越えていく記録。本当は働きたくない。リアルな日記と子育てアイディアを配信します。

大河ドラママニアの『おんな城主 直虎』の楽しみ方

ここ10年ぐらい大河ドラマにはお世話になっており、だいたい面白いので楽しませってもらっている。 『おんな城主 直虎』の初回からだるかったのは話の筋を説明的に描写するからであると思った。ストーリーを追っている演技であり、演技はストーリーのためになっている。持論だが、演技はストーリーから独立すべきで、というか、ストーリーに沿ったとしても演技が自立していないと映像がつまらぬ。小津安二郎の映画の演技はそのシーンが品として確立していたのではなかったか。

2回めは他の作業をしながら、ながらで作業の合間にたまに見る程度であった。もちろんストーリーを追えばいいからで、それなら聞いているだけでよい。

3回目は今回かな。だんだんと面白くなってきた。それは一つは話が厚みを帯びてくるからで、大河ドラマならではの長所だ。つまらぬストーリーの積み重ねではつまらぬが、初回から今川義元がよさそうだと予感していた。

面白いのは公家風の今川義元と坊主である。 大河ドラマは歴史の知らない部分を教えてくれる。あるいは、誤解を解こうとする説を提案する。今川義元桶狭間織田信長に討たれ信長の先進性が取りだたされるが、今川義元は及ばないものの優秀な人物ではなかったか。そこが描かれるのでは、と期待している。そして今川義元の演技はそれが自立したもののように思えるのだ。

それに厚みを与えるのが佐野史郎の雪斎だった。寿桂尼も気骨をみせている。演じるのは誰か知らぬ。

今回は坊主と今川がハイライトだった。そして、それが筋を運ぶなら面白い。武家の力だけのストーリーはつまらぬ。大河を見すぎていて幾分楽しみかたがマニアックになっているかもしれないが仕方はない。『平清盛』では公家を楽しんだ。『真田丸』ではユーモアと単純でない人物たちを楽しんだ。決して直線的なストーリーを楽しむわけではないのが私の大河ドラマの見方だ。それだけの時間の尺があるんだからね。