高校時代から二〇年台のファンだ。
村上春樹の小説は、高校生の自分にとって、なんだかおしゃれだった。女の子との交流も羨ましくて、妄想を広げたのは、村上春樹の小説を材料としてだった。交際の手本にしようとした。そんな交際など当分訪れなかったのだが。
そして、その村上春樹作品の力も感じていた。 『ねじまき鳥クロニクル』『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』。長編は、だいたい魔力的な力を感じた。なにか感動させるものがあった。
また『夜のくもざる』『納屋を焼く』などの短編も、雰囲気があって、非常に気に入っていた。きっとそこには、何か文学史上の達成があったのだろう。
ぼくは専門家でないので、よくわからないが、読者として楽しんだ。
加藤典洋などの、村上春樹に対する評論も呼んだし、いくらかその小説の謎に挑もうとした。 結局、よくわかっていないが、それなりの長さの時間を費やし、村上春樹と過ごしてきたと言える。
本作では、村上春樹が自身の小説に対する考え方、作法を語っている。 ぼくから見れば、謎多き作家が自身について語っているのを聞けるのは、またとない機会だ。これまでは批評家の言葉を通して、謎に挑もうとしたのだ。本作では作者自身がその秘密の一端を語っている。
批評家の言葉はいくつかはあたっていたように思う。そして、まだ謎は残る。 村上春樹の作品から受ける感動のようなものはどこから来るか?それは村上春樹も明かしていない。種明かしをすれば、それはそれで、この世界がつまらなくなる。
ただ、なんとなく村上春樹作品に感動する理由はこんなことだろうと思う。
- 時代の切実な問いを物語によって思考しようとしている。
- 時代に書くべき文章を書こうとしている。
- 長編小説で物語世界を構築し、それが現実世界と離れすぎないように制御し、物語として成立させている。
なにより、村上春樹が面白い物語を作ろうとしている点も重要である。
ぼくが気に入った一節を引用しよう。
『第四回 オリジナリティーについて』
これはあくまで僕の個人的な意見ですが、もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいるなら、「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、ヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、話が避けがたく重くなります。フットワークが鈍くなれば、文章はその勢いを失っていきます。勢いのない文章は人をーあるいは自分自身をもー惹きつけることができません。 それに比べると「何かを求めていない自分」というのは蝶のように軽く、ふわふわと自由なものです。
間接的に語る、あるいは、比喩的に、あるいは、物語で。 それが、読みたい文章の一つの形であり、それが小説かもしれない。
こういった文章は僕を自由にさせた。これが身体に効く文章であると言ってもいいかもしれない。
村上春樹を考える、あるいは、文章を考えることができる、至高の一冊と言って良い本と思います。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: スイッチパブリッシング
- 発売日: 2015/09/10
- メディア: 単行本
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