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どこでもデスマーチ

会社や家庭の問題を乗り越えていく記録。

わかればスッキリ!生きる意味、人生の意味について、諸富祥彦著の書籍『生きる意味はあるか』を読んだ感想

生きる意味、人生の意味

人生に意味はあるか?

だれもが考える問いだよね。

で、『人生に意味はあるか』という本を読んだ。著者は心理学者でありカウンセラーです。

人生に意味はあるか (講談社現代新書)

人生に意味はあるか (講談社現代新書)

答えをいうと、著者は「ある」と言っている。

私の考えでは、意味というと、英語でmeaningなので、lifeの定義はあるか、 という質問であるので、意味はある、のは当然だ。 しかし、ここでは著者はたぶん「人生に価値はあるか」という問いだと考えている。 ここでもう著者の言葉の扱いの丁寧さを疑い始めるのだが、ボクの知りたいのも、その問であるので、本の内容をまとめておきたい。

カウンセラーの経験から

第一章では、カウンセラーの著者への相談の例を持ち出し、人生の意味を感じられない空虚な時代であることを述べる。

つまり、今の日本社会は「たとえ頑張ったり、つらいこと不快なことに耐えたりしても、たいしたものは手に入らない。逆に、適当にだらだらやったり、面倒くさくなったら、放り出してしまっても、たいして失うもののない社会」ーそんなローリスク・ローリターンの社会になってしまってはいないでしょうか?

そうかもね。毎日、死にものぐるいで、頑張る必要はない。生の実感がないのかもね。しかし、死の実感もない。それはいいことかもしれない。それでは物足りない人間は欲張りですね。

生きる意味の模擬授業

第2章は、模擬授業。大学生への授業からの生きる意味の回答例が示される。

これがなかなかよい。自分も考えたことがあるような例も。

今はわからないけれど、生きる意味を探すために生きているんだと思う。

そうそう、こうやって考えたりするよね。でも論理的にはさらに「なぜ生きる意味を探すのですか」って質問が予想できて、答えになっていない。言葉遊びだと思う。

この世に生まれてくるのは、ものすごい偶然と確率でしか生まれてこない。それ自体、奇跡であり、意味がないなら生まれてこないはずだ。

確率が低いからっていって、貴重かもしれないけど、意味があるとは言えない。

いやあ、このへんって読み返してみると面白いな。一番おもしろいかもしれない。 色んなパターンがある。実感から生きる意味があるとしたり、宇宙レベルで考えたり。面白い。

もっともが学生の共感をえたのは何だと思う?

意味とかじゃなくて、生きるし。

もう論理とかじゃない。なんかかっこいい。これこそ説明を超えた言葉という感じだ。 本能的。生きる、本能だから。意味なんてないよって立場もありだな。てことは、生きる意味はなく、ただ生きることが正しい。 生きるものが生き残るのだ。それはそれで納得だよ。

宗教や文学の生きる意味の答え

第3章は宗教、文学の提出する答えだ。

五木寛之のこたえ

人生の目的を探すことが目的だという。 そして、おそらく見つからない。 そして、自分の物語を作り、それを信じるという道を提示する。 宗教という誰かに作られた物語を信じる方法も提示する。

私の考えでは、これはいいかもしれないが、探すのが目的というのは、前述のとおり、受け入れがたい。 物語を信じて生きられれば、幸せかもしれないが、物語を持てない場合に答えていないので、不十分だ。

高森顕徹のこたえ

浄土真宗の方だそうだ。弥陀の救いが目的だそうだ。

親鸞聖人ほど、人生の目的を明示しし、その達成を勧められた方はない。『万人共通の生きる目的は、苦悩の根本を破り、”よくぞこの世にうまれたものぞ”の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的を果たすまでは生き抜きなさいよ』聖人、九十年のメッセージを一貫して、これしかなかった」

まあ、そうなんだけど、ちょっと説明不足かな。理屈がほしい。論理がほしい。ここは筆者の説明不足なのかもしれないし、教えを私が理解できないだけかもしれない。

トルストイのこたえ

長い苦悩の末、トルストイの出した結論は、ごく普通の人々、とりわけ農民の生き方に学ぶ、というものでした。素朴な農民は、理性を越えた、より深い非合理的な知識を持ち合わせていると思われたのです。彼らは、理性より信仰に基づいて行動します。トルストイは、農民の信仰の源泉であう福音書の教えに回帰し、そこに生きる意味を発見したのです。

だんだん引用も疲れてきたな。一番下にもっと引用しているサイトへのリンクを貼ったので、みてくれてもいい。

トルストイは作家として成功し、幸せだったが、生きる意味を問い始め、信仰だと思った。ということだが、共感があまりこの説明からはできない。その信仰はどういう答えを持っているのか。

ここでは、一つ一つ引用しているが、本をまとめるのが目的ではなく、私が自分で考えるのが目的なので、引用は適当にとばして、大事なところのみの引用としたい。読んでいる時はよかったが、まとめているとこの本の説明は不十分と思えてくる。ただ、これだけ幅広く紹介する本は知らないので、貴重ではある。リファレンスとして。

哲学のこたえ

哲学は物語ではない。人類はいつかなくなる、ということも事実として考える。そうすると物語は無力になる。

トマス・ネーゲル

宇宙は消える。だから、人生は一瞬。これが前提。

渋谷治美

人類全体も無根拠に生まれたから、人間も無意味。

ニヒリズムらしい。 なら、どうする?

分類がある。

  1. 反「良俗」的反抗:すねる、刹那主義。

  2. 逃避としての信仰: 絶対者を信じたり。

  3. 人生の全的否定: 自殺、あるいは、あきらめて達観。

  4. 人生の全的肯定: にもかからず、無意味に反抗してい生きるとか、 だから、すべての人生が肯定され生きる。

結局意味はないので、対処するって話。

宮台真司のこたえ

意味は無いという立場。 宮台はニーチェをもとにしている。 現代は意味がないだけでなく、濃密さが不足しているので、ドラッグ、トランスミュージック、セックスなどで、強度を求める時代だとのこと。私は何か虚しくて共感できない。

ニーチェのこたえ

ニーチェキリスト教の物語を生きる意味を与えるための物語とした。神のため、という物語は科学が進歩した時代には説得力を失ったとした。 意味を失った人間は、意味なく繰り返される人生を肯定するために、至福の時間が必要だとした。 それは、例えば、恋愛。。。

恋愛かよ!

私には、快感が一瞬でもあれば、それをもとに生きていける、と読めた。 快感が人を生きさせる。それはそれで納得だ。ひとはいきものであって、生き物の仕組みは備わっている。その仕組とは「生きるって快感」なはずだ。

スピリリュアリティのこたえ

スピリリュアリティは生まれ変わりを前提とすることが多い。

飯田史彦のこたえ

人生の目的は、自分の問題集を解くことだと考える。修行。

来世までの修行と考える。

キューブラー・ロスのこたえ

死ぬとき、一番の成長のチャンスがある。 そこで成長できたら、蝶に変わるなど、自分を脱ぎ捨てても良い。

チベット死者の書』のこたえ

死ぬ瞬間、スピリットになる。そのとき、悟っているかが重要。 うーむ、要約ががいい加減で差がわからなくなってきたが、だいたい、このようなものと、理解しよう。

玄侑宗久のこたえ

座禅であの世に何か繋がる感じを得たが、それは物理学と矛盾しない。 そう述べている、控えめで信用できると著者は言っている。

上田紀行のこたえ

これまでは生きる意味も与えられた時代。 これからは、それぞれが生きる意味を定義する、オーダーメイドの時代。

生きる意味には迫っていないと思う。生きる意味をどう使うかは議論しているが、実際意味は何なのさ?

生きる意味を個人が感じられる時代が、これから必要とのこと。

江原啓之のこたえ

あやしいスピリリュアリティのひとだが、 背後霊は常にいて、自分たちの成長を見守るものとする解釈が新しい。 そして、個人、人類の成長を目指す点を著者は評価する。

神との対話』のこたえ

人生は学校のように何かを知るところでなく、 創りだす場である点がよいのではないかと著者は言う。

スピリチュアルは、もうだんだん答えになっていないなww 哲学のほうが自分に合っている。

ビクトール・フランクルのこたえ

フランクルは筆者がよく紹介している精神科医です。フランクルによると次のとおり。

人生の意味は与えられない。 人生に個人が問われている。人生のこたえを発見するべきだという。 人生の過去は永遠に残り続けるという。

フランクルは、人生に問うのではなく、個人は問われているのだ、と述べた。 そして、どんな絶望的な状況でも、誰かや何かのために、どうすべきか、発見すべき、だと言った。

これは私には新鮮だ。人生の意味を質問しても誰も答えない。 すでに人生に問われているのだ、とすれば、何か考えられる気がする。 この言葉はたしかに、人生で何かできることがある気にしてくれる、効果のある言葉と言える。 しかし、私は疑問に思う。人生は、人間ではない。動物でもない。それが問うとはどういうことか? 人生は擬人化していいのか?

確かに効果のある言葉だ。しかし、これは正しいのか?言葉は正確か? 私は言葉を使う以上は正確に使わなければ、事実を見誤ると思う。 だから、ぼくはこの説を、こうであってほしいと思うのだが、素直に信じることはできない。

筆者、諸富祥彦のこたえ

10代の頃、人生の意味に深く悩んだ筆者。その経験です。

「もう、どうにでもなれ」。心身の疲労が限界にきていた私は、なかば魔が差したのも手伝って、実際にその場に倒れこんだのです。うつぶせに。けれど、何かが、いつもと違う…。からだがとても軽いのです。不思議だな、と思って、あおむけになってみると、横たわった私の、おなかのあたりの、ちょうど一メートルほど上の位置でしょうか、そのあたりに、何か強烈な「エネルギーのうず」のようなものが見えたのです。

それは私を筆者を成立させてきた「はたらき」だそうです。それで、目覚めた。

みずからの存在の根底において、つねにすでに成り立っているこの真実に、私はこの時目覚めたのです。と、同時に即座に、私の思い悩みは消え去りました。答えが与えられて、悩みが解決したのではありません。思い悩む必要がなくなって、悩みそれ自体が消え去っていったのです。

何か言葉にしにくい体験は著者はした。そして、世界のエネルギーと一体化するような感覚を得たようだ。 そして、それは宗教者の体験と一致し、物理学の説とも矛盾しないと述べる。

この部分は、個人的な体験なので、文章にはしにくいだろう。そして、私も簡単には共感することはできない。この本で答えを提示しているかというと、それは疑問だと思う。

感想

著者は、この本が三部作で、第二作仮題『こうして私は、人生の意味を知った』と第三作仮題『人生のすべての出来事には意味がある スピリチュアルに生きるための11のレッスン』を予定していると記載されている。この本が2005年に出版され、それ以降も著作を発表している著者だが、続編は出版されていないようだ。そこはどう考えているのか?不明だ。

著者はカウンセラーだ。カウンセラーは事実を探求する職業ではないのではないか?事実はどうであれ、患者がよくなる言葉をかける。それがカウンセラーでないか?だとすれば、答えを期待してはいけなかったのかもしれない。

それはフランクルの答えでも同様と思う。人生が我々に態度を問うている、そう考えれば、人生をどう生きるか、前向きに考えることができる。しかし、人生が問うているのは事実か?私は、うまくいくことより、まず事実を知りたいのである。

この本により、興味深い先人たちの意見を知ることができた。読んでよかった。しかし、結論はまだはっきりしないのである。

本書の幾分長い引用は下記のページにある。 人生に意味はあるか - tenten104の日記

またWikipediaにも関連するページがある。 人生の意義 - Wikipedia

追記

生きる意味に関係する別の本も読んでいる。

人生ドラクエ化マニュアル

これはドラクエを人生の比喩としていかに人生をプレイすべきか考察した良書だ。

ひたすら人生をドラクエという比喩で説明し、実はドラクエのように活き活きとプレーできるのだということをいう。 人生のなかにゲームは存在する。人生もまたゲームであったのだ。とすると、ゲームの中にゲームがあることになる。 ドラクエのなかにミニゲームがあることは必然的なのだ。

人生をドラクエ化するとは、人生はドラクエでない、と言っているとも言える。 もちろん著者もわかっている。 人生はドラクエよりも優れたゲームである。それが著者の結論ではあるまいか。

ドラクエを比喩にもっと人生を楽しめる方法を述べる。 人生には目的を阻害する敵がいる。敵には攻略方法を考えればいいのだ。ドラクエでそうであるように。 そして、人生はドラクエと違う。目的は自分で設定できる。自由だ。そして、目的を自分で設定しなければならない。 また、攻略のコマンドを作るのも自分だ。かつ、何度でもコマンドは実行できるのだ。そう考えると、自由にもっと行きられそうだ。肩から力が抜ける。ゲームと考える事は、楽になることだ。人生はドラクエではないのかもしれない。しかし、ゲームと考えたら、うまくいくのであれば、それでいいのではないか?

ドラクエは楽しく、人生は楽しくないのだとしたら、人生をゲーム化できていないのだろう。ドラクエは作者たちが巧妙にゲーム化したものだ。人生はゲーム化が必要なのだ。例えば、人生に小ボス、中ボス、大バスを配置する。人生はもともと構造化されていないので取り組みにくいがゲーム化つまり構造化することで楽しみやすくなるのだ。 プラス思考の人間は元々人生ゲーム化できているのだろう。

人生のもっとも恐ろしいルールは何か?これは本書で確かめて欲しい。そして、そのルールは人生を輝かせる。 最後の部分で、人生の本質に著者は迫っていく。それは今を生きる話。それはドラクエの比喩で人生を考えてきたからこそ、到達した場所。比喩は素晴らしい。

比喩によってもっと別の人生を考えることができる。ありえなかった選択肢を思うことができる。

人生には目的を設定しつつ、それを念頭に、瞬間も楽しまねばならない。これは矛盾、あるいは、両立が難しい。これもまたゲーム化できるのかもしれない。

また、過去のゲーマーの金言もいいね。過去のゲーマーというのは、スティーブ・ジョブズマザー・テレサアインシュタインなどの人生を楽しんだ、人生の偉大なゲーマーたちのゲームに関する言葉だ。

どうせ死んでしまう

どうせ死んでしまうと呟きながら 語る内容を本にする芸。隠遁や引きこもりの心得など。 生きる意味などないと思いながら生きるノウハウの一例。 ダラダラした本なのでインパクトはないが、ダラダラ生きるためにインパクトは不要だよね。

どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病 (私は哲学病。)

どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病 (私は哲学病。)